趣味でやってきただけのバイオリン(しかもここ10年はほとんど触っていない)ですがせっかくドイツにいるということでバイオリンが欲しくなり購入!その過程で面白いストーリーを発見したのでメモメモ。
地元の小さな工房を周り一目惚れ(一聞き惚れ)?したバイオリンを購入してみました!

- 購入過程
- 購入したのはオールドバイオリン?出どころは不明と言われたが、、、
- 作者 Joseph Pauliについて
- Jacob SteinerとJohann Georg Thirについてのメモ
- まとめ
購入過程
まずは地元の工房を何軒か周り、雰囲気を確認。昔趣味でやっていただけ、しかも最近10年くらいはほとんどバイオリンを触っていないのでそこまで高いものはいらないかなと思い1000ユーロくらいから購入を検討。
3件目くらいの工房。アパートの一室が工房になっているような場所でした。予算を伝えていくつか試奏させていただいてました。予算が1000−2000ユーロくらいであることを伝えるとあまり乗り気ではなさそうですが数挺のバイオリンを出してくれました。
あまりパッとせず、見た目もあまり気に入らなかったのでもう少し高いのあるか聞いてみると、その工房で作ったバイオリン(10000ユーロくらい?)と他に3000−7000ユーロくらいの古そうなバイオリンを出してくれました。
そのうち一つを引いた瞬間、完全アマチュアな私にもわかる音の違いが!やはりこのくらいは払わないといい音は出ないんですね。。。
元々使っていたのが工場生産品でかなり明るく若い音がしていたのでこのはじめに弾いたバイオリンを含めて気に入った二つから絞ることに。
片方は地元ザクセンのもの(4000ユーロくらい、作者不明)、もう片方は完全なMysteryバイオリン(3000ユーロくらい)とのことでした。一週間貸出が可能とのことで家に持って帰って散々悩んだ挙句、やはり第一印象が良かったバイオリンに決めました。
その間色々チェックしていた過程でこの決定したバイオリンの作者ではないかという方を見つけたので以下はそのお話。いろんな歴史を辿れてその過程も楽しかったです!
購入したのはオールドバイオリン?出どころは不明と言われたが、、、
工房の人によるとMystery!Unknown!何もわからない!という説明を受けました。しかし、中のラベルを見ると'josephus pauli me fecit linci'と記載。ヨセフス・パウリがリンツで作ったという意味らしい。
上記のようにそこまで高いバイオリンではないので有名な作者ではないはずでありますが、一応Googleで調べてみるとかすかな情報が
訳:ジョセフ(ヨセフ)は、1769年にタッホフ(Tachov)で生まれ、1846年にオーストリアのリンツ(Linz)で亡くなりました。彼はウィーンでJ.G.ティール(Johann Georg Thir)の弟子でした。1805年からリンツで工房を構えました。
彼の楽器は、高いアーチを持つシュタイナー(Stainer)モデルを特徴としています。f字孔はやや長めにデザインされています。また、ストラディバリ風のスクロールには、きれいに concentric(同心円状)の渦巻き模様が施されています。ニスは濃い色合いで薄く塗られており、やや不透明です。
ラベルには以下のように記されています:
•“Josephus Pauli me fecit / Linci 17..”
•“Joseph Pauli / in / Linz. 1805”
年代もあっているし、ラベルの書き方も合っている、年代(ラベルには17XXと記載)も合っている、値段的にもそこまで齟齬はない、Tachovはチェコの都市ということでドレスデンにも近い、裏板の膨らみは後述のシュタイナー型に見える。
多分こいつだ!
一応Wikipediaにもページがありました。
そしてなんとEbayに出品されていJoseph Pauliのバイオリンを見つけました。写真には私のバイオリンにあるラベルと同じものが!ここまで一致しているものが存在しているのであればおそらく間違いないでしょう!(工房の人全然調べてないじゃん!笑)
eBayのラベル

私のバイオリンについているラベル。一致!


さらにこちらとも一致!!

写真だとわかりにくいですがかなりのハイアーチです。このぷっくりも気に入りました!
裏はこんな感じ。一枚板で綺麗です!
作者 Joseph Pauliについて
彼の出自は上記の通りですが、どのようにバイオリンを作ることになったかというのを調べてみると、ウィーンの巨匠ヨハン・ゲオルグ・ティールの弟子ではないかとの記載がありました。
引用「弦楽器の製造が盛んだったので1562年には過当競争を抑えるべく組合(ツンフト)ができました。ヨーロッパで最初の弦楽器製造業の組合で、フュッセンでできた製品はすべて組合を通して流通し、工房を経営する「親方Master」が「弟子」、「職人」を抱える形でいわゆる徒弟制度の職業システムができていったのです。そんなフュッセンの街は1600年には人口2100人ほどの街に13軒、周辺地域も含めると18軒の弦楽器工房があり、人口の16人に一人が弦楽器産業に携わっていたそうです。
そんな環境でしたから、能力があって野心を持った職人はこのような組合システムの中にいることを良しとせず、自分の能力を生かしてより稼げるヴェネツィアやウィーン、プラハなどの大都市に出て行きました。その名を挙げると、ヨハン・ゲオルグ・ティール(ca.1710-ca.1781,>ウィーン),フランツ・ガイゼンホッフ(1753-1821、>ウィーン)、パウル・アレッツィー(1684-1735、>ミュンヘン)、ヨハン・ウルリッヒ・エベルレ(1699-1768、フィルス>プラハ)などなどです。」
第161回 篠崎 渡(2018.06.20) | 関西弦楽器製作者協会 KANSAI String Instruments Makers Association
バイオリン制作の始祖であるAndrea Amati(1505-1577)とその息子(Nicolo Amati 1596-1684)、そして弟子であり、今では超絶的な人気を誇るグァルネリ、ストラディヴァリなどイタリアン・クレモナ、そこから抜けてきたヨハン・ゲオルグ・ティールの弟子、ということになりますね。
Joseph Pauliがティールの弟子であればAmatiの孫弟子くらいの関係だったのかもしれません。(根拠なし笑)
ティールのバイオリンも同時期にウィーンで活躍し当時はストラディバリよりも人気だったというシュタイナー型に近い形をしており、今回購入したものもそれに近いのではないかと勝手に思っています。
オールドヴァイオリン:ヨハン・ゲオルグ・ティール(Johann Georg Thir) | オールドヴァイオリン専門店
ただし、保存状態も悪く、傷も多いし、無名、かつ学生だったかもしれないJoseph Pauliの作ったバイオリンですのでまあ今回の購入値段は妥当かなと笑 これだけ歴史的な妄想を与えてくれただけでドアマチュアの私には十分です。
以下のような記述もあります。
「おそらくタッハウ(Tachau)出身のパウリ家に属していたと考えられます。彼は1812年3月17日に、個人に対する特別な資格である「ad personam」のヴァイオリン製作資格と、リンツでの市民権を取得しました。ただし、これより数年前からリンツに居住していたことが確認されています。
彼は現在のホーフガッセ14番(旧住所101番)に住んでおり、とても腕の良いヴァイオリン製作者でした。その作風から判断すると、ウィーンでも製作を行っていたことが推測されます。彼はシュタイナー(Stainer)やアマティ(Amati)のスタイルを取り入れており、良質な木材を使用していました。彼のモデルは細長い形状でありながら頑丈で、ニスは赤茶色で艶がありません。
彼が1799年に製作したチェロの一つは、現在オーストリア上部の聖フロリアン修道院が所有しています。ただし、同じ名前と初期の年代を持つヴァイオリンが存在するため、彼の父親が同名でリンツでヴァイオリン製作をしていた可能性も考えられます。しかしながら、これを裏付ける公式な記録は全く存在しません。」
さらに、私のラベルに記載されている1700年代には違法にバイオリンを売っていて、追放されたとの記述が笑このバイオリンも最初は違法に売られたものだったのかもしれません、、、
Joseph と Josephus Pauliが違う人だという意見もありますが、まあ大体その辺ということで笑
Jacob SteinerとJohann Georg Thirについてのメモ
シュタイナー型の元になったヤコブシュタイナー((1617−1683)もドイツ、オーストリア系のマイスターとしてはかなり評価が高かったようです。Nicolo Amati家の弟子であったとかなかったとか。
私のバイオリンも横から見た時の膨らみがすごく、最初に見た時にはびっくりしました。
あなたも分かる!オールドヴァイオリンの鑑定(ふくらみ編) | オールド・ヴァイオリン専門店 ㈱ダ・ヴィンチヴァイオリンの社長ブログ
Thirのバイオリンも状態が良ければ数百万円での取引がされています。ストラディバリウスほどではありませんがさすがの人気です。
Old Vienese violin by Johann Georg Thir | オールドヴァイオリン専門店 ㈱ダ・ヴィンチヴァイオリン
ウィーンの美術館に所蔵されているものもあるようです。
Kunsthistorisches Museum: Violine
Thirの説明
彼は1738年9月1日に市民宣誓を行い、その後1776年頃までいわゆる「ウィュブマー地区 (Wübmer Viertel)」に居住していました。その後、税務記録には「ティールは市内に住んでいる」と記載されています。彼はウィーンで最も優れたヴァイオリン製作者の一人とされています。
彼のヴァイオリンは、長くて狭いパターン(モデル)と高いアーチ(シュタイナー風の形状)が特徴です。f字孔は幅が狭く、約45mmの間隔で配置されています。また、サイド(側板)は32〜33mmの高さがあります。スクロール(渦巻き部分)は大きく、美しい仕上がりです。
チェロにおいては、大きなパターンを好んで使用していました。ニスは「チェリーウッドブラウン」と呼ばれる色合いで、温かみのある雰囲気が特徴です。彼が製作した1768年と1773年の2つの優れたヴァイオリンは、現在ウィーンのショッテン修道院(Schottenstift)が所蔵しています。
1781年にはフランツ・ガイセンホフ(Fr. Gaissenhof)が彼の後継者となりました。ガイセンホフはティールのラベルを引き続き使用したようで、1791年の年号が記されたティールの名前入りヴァイオリンが今も存在しています。
(Janos Gyorgy (Johann Georg) THIR | Amati Instruments Ltdより引用)
まとめ
たまたま近くの工房で一目惚れした楽器でしたが、調べてみたら意外と情報が出てきました。有名マイスター作だと言われると嘘だと疑ってしまいますが、その無名の弟子ということで謎の信ぴょう性を発揮。私にはちょうどいい楽器だったのかもしれませんね。
これだけのストーリーに想いを馳せられるのであれば十分!いずれにしても200年以上の古さの楽器になるのでこれからも末長く大事にしていこうと思います!私の自己満足記事にお付き合いいただきありがとうございました!